メッセージ

~「わたしは復活であり命である」~   吉村知子                本日のメッセージ題「わたしは復活であり命である」は、召天者記念礼拝によく引用される聖句です。イエスの友人であるラザロの死を巡って、その家族のマルタとマリアの悲しみと絶望の中で、命の源であるイエスが語った言葉です。私たちはこの世に生を受けた以上、いつかは死を迎えます。誰も死から逃れられません。もし自分が死ぬ時がわかっていれば、それまでにやりたいことをやる、もっと良い人になる、あの人と仲直りをする等、これまでの人生を振り返り、死への準備をすることができるかもしれません。一方、もし死ぬ時がわかっていれば、死への恐怖にさいなまれるかもしれません。そのように人間がこの世で営みをする以上、生と死は今も昔も人間を取り囲みます。しかし同時に、死を前にして「人はどう生きるべきか」という問いも投げかけられます。本日の聖書箇所では愛する者の死に直面したマルタが、死の先にある復活、絶望の先にある希望を、イエスの中に見出す話でもあります。終末に復活することを信じていたマルタにイエスは語ります。「私は復活であり命である。私を信じる者は死んでも生きる。」(ヨハネ11:25) 復活は将来の事だけではなく、今あなたが生きているこの瞬間も復活なのだと語るのです。この味わい深い言葉の意味を教えてくださいと、祈る者でありたいと思います。