メッセージ

 ~「わたしはぶどうの木」~吉村知子                       ヨハネによる福音書でイエスは「 私は~である」という表現を使います。これまでのメッセージを振り返ると”私は生ける水・私は道・私は良い羊飼い・私は復活であり命である”など身近なものに例えて、ご自身の本質を表します。本日のメッセージではご自身を「ぶどうの木」に例えます。ぶどう・ぶどう酒という言葉は聖書の中に400回以上引用され、ぶどう栽培がイスラエルの重要な経済基盤であったことを示しています。これは約束の地の祝福の一つであり、ぶどうの木の下に座すことは、平和と繁栄を意味しました。ぶどうの木は神に植えられたイスラエルの象徴とされ、イエスはご自身をぶどうの木に例えます。しかしよく注意して読むと「私はまことのぶどうの木」とおっしゃいます。偽りのぶどうの木があったのでしょうか。旧約聖書にぶどうについての引用がありますが、ほとんどが”偽りのぶどう、堕落したブドウ”であると預言者が語っています。つまりイスラエル民族は選民であるという驕りのため堕落してしまいましたが、イエスが語る”まことのぶどうの木”は、民族性に左右されず(誰でも)イエスとの親しい生きた交わりを持ち、イエスを信じることだけで救われると言います。さらに「私につながっていれば、豊かな実を結ぶ」と約束してくださいます。聖霊の実は「愛・喜び・平和・寛容・親切・善意・誠実・柔和・節制」。イエスにあって成長し、豊かな実を結ぶ者でありたいです。