メッセージ

    ~「祈るイエス」~ 吉村知子             

 教会暦の中でも今週は、主イエスの十字架の道をたどるとても大切な週となります。本日から始まる週は「受難週」と呼ばれ、3月28日は「棕櫚(しゅろ)の主日」、4月1日(木)は洗足木曜日、4月2日(金)は受難日。4月4日(日)はイースター(復活祭)です。主イエスはエルサレムにロバの子に乗って入城し、群衆は棕櫚の枝を振って歓迎しました。しかしそののち、ユダヤ人宗教指導者との確執が表面化して、イエスは十字架の道へと向かいます。その前に、3年間行動を共にした弟子たちと最後の食事をし(最後の晩餐)、弟子たちの足を洗い、「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい」と告げ、ご自身、愛の模範を示されます。
 主イエスは二人の犯罪人と共に十字架にかかりました。その時イエスは祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)。死の直前に、ご自分を十字架にかけた人々の為に、愛の限りを尽くして祈ったのです。しかしその場にいた人々は「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで選ばれたものなら、自分を救うがよい」と、イエスをあざ笑いました。十字架にかかり、弱く苦しむ者が救い主であるはずがないと思ったのです。しかしここに、神の救いの計画の逆説があるのです。「彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちは癒された」(イザヤ書53:5)。ローマの百人隊長はこの十字架上のイエスこそ、「まことに神の子であった」と証言します。