メッセージ

 「主の祈り~御国が来ますように」    吉村知子               
先週は 「御名があがめられますように」についてお話ししました。あがめるとは「聖とする」という意味です。旧約時代、神の名は神聖でユダヤ人はその名を口にすることをせず、代わりに「主」と呼んでいました。さらにあがめるには、「大きくする」という意味があり、マリアの賛歌にそれが読み取れます。マリアは主イエスを胎に宿したとき不安でしたが、「神にできないことは何一つない」ことを信じて身も心も神に明け渡し、「私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主である神を喜びたたえます」と歌います。主イエスは十字架にかかる直前、ゲッセマネで父なる神に祈りましたが、「今私は心が騒いでいる。私は何と言おうか。父よ、この時から私をお救いください。しかし、私はこのために、この時に至った。父よ、み名があがめられますように」(ヨハネ12:27-28)と、苦悶の内に祈り続け、最後にはみ名があがめられることを祈ります。み名をあがめる心は「私の思いではなく、あなたの御心が成りますように」へと導かれます。
本日は「御国が来ますように」を考えてみましょう。イエスが公生涯に入られた時の第一声は「時は満ち、神の国は近づいた」でした。福音書では「天の国・神の国・御国」と訳されていますが「神が支配する王国」の事で、神の愛と平和が豊かに支配する国です。
イエスの到来とともに、その神の支配は「すでに」始まっていますが、「いまだ」完成していません。私たちは、神の支配を共同体の中で体験しつつ、完成を目指して歩み続けるのです。