メッセージ

~「ダマスコ途上にて」~  吉村知子
               
 本日は、初代教会でペトロと並んで大使徒と呼ばれたパウロの回心の出来事をご一緒に見ていきます。パウロ(サウロ)の名前は既に7章のステファノの殉教の場で出てきました。「証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足元に置いた」(7:58)。ここで分かるように、サウロはステファノの殺害に賛成し、加担していました。さらにキリストを信じる者たちを見つけ出しては牢に送っていました。サウロはキリストを信じる者たちは“神に敵対する者”だと固く信じて疑わなかったのです。サウロはエルサレムからダマスコにまで手を伸ばし、信者を見つけたら捕縛できるように、大祭司のお墨付きを取りつけ、意気揚々とダマスコに向かっていました。
するとその時、突然天からの光が彼の周りを照らし、サウロは地に倒れました。その時「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声が聞こえたのです。ここで3つの大切な言葉があります。①「天からの光」は、神が特別な使信を伝えるときに現れます「イエス・キリストの降誕の時など」。②「サウル、サウル」と名前を2回呼ぶことも、神がある人を特別な働きに召し出す時に使われます(旧約のアブラハムやサムエルなど)。③サウロが迫害していたのは信者だったのに、実はイエス・キリストご自身を迫害していたということです。
サウロは3日3晩、目が見えず、食事もしませんでした。ダマスコまで人に手を引かれて、そこでアナニアに出会い、アナニアの祈りによってふたたび目が開かれ、「身を起して」バプテスマを受けました。「身を起こす」とは原語のギリシア語では「復活」を意味する言葉です。こうしてサウロ(パウロ)はキリストによる新しい命を得て、人生が180度転換するのです。