メッセージ

~「幸いなるかな、心の貧しき者」~ 吉村知子

本日のメッセージ題は「幸いなるかな、心の貧しき者」で、マタイによる福音書5―7章に記されている「山上の説教」の最初の言葉です。山上の説教は「神の国の福音」を集約したものといわれます。山上の説教の中には、人生の道しるべとなる言葉が多く記されていますが、これは単に、道徳律ではなく、主イエスが目の前にいる群衆や弟子たちの顔を見ながら語った、血の通った言葉であり、私たちへの語りかけでもあります。
マタイによる福音書は「インマヌエル」に始まり、「インマヌエル」で終わるといっても過言ではないでしょう。1章でイエスはインマヌエル、すなわち「神は我々とともにおられる方」と呼ばれます。28章の宣教大命令では「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」と約束してくださいます。そのような文脈の中で、本日のテーマである「心の貧しい人々は、幸いである」を見ると、これを守れば天国に入れるといった”ねばならない”という道徳律ではなく、「あなた方はすでに神の恵みによってこのことが約束されている。私はそれがあなたの人生で実を結ぶように、いつもそばにいて支え導く」という主の約束が前提になっているのです。
「心の貧しい人々」とは、神の前に身を低くする人のことです。「御名があがめられますように」と、神にすべての望みを置き、信じようとする人のことです。4世紀に活躍した教父アウグスティヌスは、著書「告白」の中でこのように語ります。「あなたは、私たちをあなたのご栄光のために創られました。私たちの心は、神よ、あなたの内に憩うまでは安らぎを見いだせません」。