~「栄光と賛美」~ 吉村知子
本日で愛知新生キリスト教会での礼拝メッセージは最後になります。これまでの主の豊かな導きに感謝するとともに、私は主に何を捧げることができるだろうか、と考えました。それを考えている時に出会ったのが歴代誌上29:10-17のダビデの祈りです。この祈りに表れているダビデの謙遜さに着目して、本日は「栄光と賛美」と題してみ言葉を取り次ぎたいと思います。
ダビデ王は、イスラエルの王として40年間君臨しましたが、晩年になって「神殿を自分のこの手で
建てたい!」という願いが与えられました。しかし、それを神に願い求めたとき、神はダビデの願いを拒否されたのです。戦争に明け暮れ、多くの血を流したダビデは、神の名の為に神殿を築くのにふさわしくない者、息子のソロモンが神殿を築くとおっしゃったのです。イスラエルの偉大な王として名声と権力を享受し、自分の力を結集すれば神殿建築も夢でないと思っていたダビデは、神からのNo!という言葉の前に身を低くされ、改めて「持っているすべてのものは神からの賜物である。神の意志を私ごときが変えることはできない」ことに気づき、「一体、私は神の前に何者なのか」と自問します。
私たちの人生の旅路には終わりがあり、この世では寄留者(旅人)のような私たちです。「我らの国籍は天にあり」とあるように、いつか天の御国に迎えられることを信じて歩んでいる私たちです。人生の営みの中で、自力で獲得したと思っているものは、すべて神からの贈り物。それを思う時、私たちが天地の造り主、主なる神に何を捧げることができるでしょうか?
私たちが神に捧げることができるのは、「神に栄光を帰し、賛美すること」だけなのです。