メッセージ

  ~本日のメッセージ「大切な一つの事」     池山好明

2節「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその星を見たので、拝みに来たのです。」
 ここで大切なことは「拝む」ということです。11節にまた「家に入ってみると、幼子は母マリヤと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み」とあります。少し前の8節にもヘロデの言葉として「わたしも言って拝もう」主イエスの前にひれ伏して拝む。ここにキリスト礼拝としての本当のクリスマスがあるわけです。
この博士たちについて、この後自分たちの国に帰っていったと聖書にあるだけで、そのあとの博士たちについては、何一つ記されていません。
つまり、博士たちはこの「拝む」という、ひとつの事だけのために、はるばるやってきたのだから不思議です。
なすべきこと一つのために生きて来たのかもしれません。少なくともこういう人生がクリスマスにふさわしいということなのでしょうか。