メッセージ

 

~「自分の十字架」~ 池山好明

自分が負うべき十字架とは、一言でいえば、自分が負うべき重荷を背負って、主イエスに従うということです。主イエスは『自分のための十字架』ではなく、ほかの人のために十字架につけられました。
私たちは、多くの人とのかかわりの中で生きています。いつもいい関係ばかりではないでしょう。心が折れるときもあります。憎むときもあります。十字架という重荷、犠牲を強いられるときもあるでしょう。誰であれそんな人間関係を持っています。そこに『自分の十字架』を背負うのです。
その人の傍ら(かたわ)に立って、その人の球に苦しむ。それが実のところ自分自身が主イエスに従って生きる道なんです。