メッセージ

  

~「見ないで信じる者は幸いである」~ 池山篤

 トマスは、「わたしは、その手に釘の跡を見、わたしの指を釘の跡に差し入れ、また、わたしの手をそのわき腹に差し入れてみなければ決して信じません。」と、言った。主を見たという実に空想めいた会話に対して、その傷跡を見て、手で触って確認しなければ信じられないと。トマスの性格がよく表れています。このトマスは、実にわたし達にも当てはまるのではないでしょうか。悲しみの中にあるトマス、しかし他の弟子たちは喜んでいる。これが不信仰によって支払われる代償なのです。悲しみに暮れるトマスと、喜びに中にある弟子たち、実に対称的です。
わたし達の五感は、感じなければ、確認しなければ認められない現実というのは、まさにトマスのように悲しみの中から抜け出さずにいるのです。
誰でも聖霊によらなければ、主が救い主だと告白できないのです。