メッセージ

~本日のメッセージ「人間の罪」~ 池山篤

注解書を見ると、この聖書ヶ所は「最後の審判の日」「怒りの日」との関連で読まれるべきである黙示文学的な終末の出来事として考えられている。
神様は世界の創造以来、被造物を通して、はっきりと認められているからです。と、書かれています。日本には八百万の神と、どこにでも神がいる。大木にしめ縄をして神が宿っているとか、石を祀ったり、水、海、太陽、火、はたまた、トイレの神様まで、どこにでも神がいます。
神の見えない性質のため、どうしても人間は見える物を欲しがるのです、八百万の神も、間違いではないので被造物を通して認められるからです。そのすべては神によって造られたもの、その一部で神を知ることは不可能なのです。ですが、やはり、目に見えるものに依り頼んでしまうのが人間です。故に、神を知りながら、本質を見ていないから、神を知りながら、神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られたものを拝んで、これに仕えたのです。