~本日のメッセージ「ともし火を灯して」~澁谷和美牧師
ルカによる福音書8章16節~18節
イエスは民衆に彼らの生活の身近な風景を題材にしたたとえを用いて神の国のこと、信仰について話された。今日のところもたとえ話である。「種を蒔く人」のたとえに続いて、「ともし火」のたとえである。
たった3節が内容的につながっていないように見える。謎解きゲームのようである。「ともし火」とは何をたとえているのか。
同じ内容の言葉がルカ書の別のところにも出ている。
「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。(17節)」この言葉は12章2節にもあり、「持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。(18節)」もまた19章26節のムナのたとえにもある。しかし、指し示しているものは違うようだ。
17節も18節も「ともし火」について述べている。そしてそれは前後の「種を蒔く人」のたとえと後に続く小見出し「イエスの母、兄弟」にも取り上げられている「私の兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」のみ言葉を指しているようである。
神からいただいたみ言葉を私たちはどう取り扱っているだろうか。「だからどう聞くべきか注意しなさい。(18節)」とあるように「どうみ言葉を聞いているか、正しく聞いているだろうか」を問いかけているのである。