メッセージ

  ~本日のメッセージ「いつも主を心のうちに迎える」~澁谷和美牧師
エフェソの信徒への手紙3章16―17節
先週の礼拝後、第2回教会総会にて2023年度の聖書箇所と標語が、決定した。
本日の説教題と上記の聖書箇所である。
3:16 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、
3:17 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように

わたしたちはキリスト・イエスを愛している。「愛している」という言葉に抵抗があるなら、「かけがえのない大切なかた」、「信じて受け入れている」と表現できるだろう。だからいつも一緒にいていいはずだけど、「一緒にいないな」と思うことが多い。キリスト教では父、子、聖霊と三つの位格を持つものとして一つなる神を表現する。神キリストはどのような時も私たちと共にいてくださるかたである。インマヌエルなる神なのである。其れなのに、「一緒にいないな」と思うことが多いのである。「愛に根差し、愛に立つ」生活どころか、「憎み」、「ねたみ」、「恨み」、「怒り」「恐れ」「痛み」「自己憐憫」とどうしようもない感情に支配されがちな者である。キリストによる神の愛は「平安」、「喜び」、「平和」「公正」であるともいえるだろう。愛に常に立てたらどんなにいいだろうと思う。
しかし、そうなれない。これはどうしようもない現実である。人間はもともと、神の存在を知らないで生まれ、育ち、誰かが教えてくれないと知らないままの存在である。神の似姿に神の手によって造られた私たちの本質と言える部分は知っているのである、が本質は心の奥深くにしまわれていて、自我に支配された状態で覆われている。
だから、常に神と共にあって生きようとすることは、たとえ、神の愛に少しも応えられていないと思えても、神の前にはそれだけで十分に尊い人生なのである。
聖霊による背後のとりなしを受けて愛に立つものとしての醍醐味を味わいたいと願う。