メッセージ

  

~本日のメッセージ「エマオの途上で」 ~澁谷和美牧師
ルカによる福音書24章13―35節
 イースターおめでとうございます。毎年、お祝いができることは喜びです。2020年度コロナ禍において最初のースターは多くの教会がお祝いすらできませんでした。多くの制約がありました。集会が持てない、愛餐が持てない等。この教会は変わらず集い、愛餐を持ち続けてこられたとお聞きしております。 幸いなことです。
 今日のところは、イエスの死の三日後復活した日の日中でしょうか、午後でしょうか、弟子の二人がエルサレムを離れ、エマオに向っていた。エルサレムから60スタディオン(約11キロメートル)離れた村へ。何の目的でそこに向かったかわからないが、イエス刑死以後弟子たちはひっそりと集まって過ごしていた。その仲間たちと別行動を取った。イエスの弟子であった自分たちにとって危険なエルサレムから離れようとしたのかもしれない。他でもないその彼らの前にイエスは現れた。エマオ途上でのイエスの顕現。この出来事もルカ独自の記事である。クレオパという弟子の名前も福音書にはここにしか出てこない。彼らはイエスだと分からなかった。イエスに促されるままにこの3日間に起こった出来事を伝えた。彼らはイエスの復活を信じていなかった。彼らがイエスに気づいたのは、エマオの村に近い宿泊地にイエスを引き留め、無理に共に宿泊を願い、その後の宿での食事の時であった。
「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった(24:30,31)。」
いつも目にするイエスの姿に触れて、彼らは気づいた。彼らは大急ぎでエルサレムに戻り、イエス復活の情報でもちきりであった仲間にエマオでの出来事を語った。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、私たちの心は燃えたではないか。(24:32)」沈み込んでいた彼らの目が開かれたとき、彼らは二人ともに心の内が喜びで燃えたことに気づいた。
イエスはエルサレムから離れようとしたこの二人の弟子を顧み、仲間のところに戻してくださった。彼らは共にペンテコステを受けたかもしれない。十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。(23:34)」と執り成す方は救われたものにも、共同体の中で信仰を持ち続けるように配慮してくださる方であることをルカは語っているようである。