メッセージ

  

~本日のメッセージ「福音を恥としない」~澁谷和美牧師 
ローマの信徒への手紙1章14節~17節
 今年度も主のご復活を共に迎えられた恵みに感謝します。
今朝よりローマの信徒への手紙を共に見ていきます。パウロは「十字架の言葉は滅んでいく者にとって愚かなものですが、私たち救われるものには神の力です。(1コリント1:18)」とコリントの信徒への手紙で記しています。十字架の言葉すなわち福音が滅びゆく人達(信じて受け入れない人たち)にとってを愚かなものとは、今日のところの「私は福音を恥とはしない」と通じる表現です。恥と思っていた人たちがいたわけです。死者の復活を信じていない多くのギリシャ人にとって、また木にかけられた者は神に呪われたもの(申命21:23)と受け取るユダヤ人にとっても「福音の愚かさ」と言えるでしょう。しかし敬虔なユダヤ教のラビであったパウロはイエス・キリストとの出会いによって「私は恥とはしない。」ときっぱりと宣言するのです。
 ここでローマの教会についてみてみたいのですが、この教会(いくつかの家の教会)はパウロの伝道によってできた教会ではありませんし、彼自身ローマの教会の人たちと出会ったこともない。ローマに知人縁者はいたようです。しかし、彼の伝道計画にはローマ帝国の中心地であるローマを何とかして訪れ、そこを拠点として広くスペイン迄伝道したい(ローマ15:24)と熱い思いを持っていたのです。彼がこの手紙を第3回宣教旅行の途中ギリシャに3か月滞在した(使徒20:3)時、紀元58年頃コリントで書いたと言われています。ローマ皇帝クラウディウスの時出されたローマからのユダヤ人追放命令(AD49年~54年)がちょうど解除され、ユダヤ人キリスト者がローマに戻りつつある頃です。人口100万人を下らない都市においてキリスト者の人数はごく少数であり、ほとんどが貧しい底辺層の人たちで、低地の常に浸水の危険のある地域に住む異邦人が多かった可能性があります。そのような地に住む彼らに対してパウロは彼らと親交の交わりを深め、更にローマの地で豊かに福音が伝えられ、人々の救いの喜びを共有したいと願い、またそのことは彼に取った神から託された責任(1:14)でもあったのです。