メッセージ

  

~本日のメッセージ「霊の執り成し」 ~澁谷和美牧師 ローマの信徒への手紙8章18節~30節
 聖霊降臨日の礼拝を感謝いたします。
前回の礼拝で取り上げた7章で、パウロは自身に内在する罪に支配され、善を行おうとしてできない人間の弱さに言及しました。神に従うことを喜ぶ心の法則があるのに、それに反して悪をなそうとする罪の法則から解放されない現実。しかい、すでにキリスト・イエスに結ばれているものは、罪に定められることはない(8:1)、救われているのだからときっぱり宣言します。
 今日のところは8章18節からです。
今だ、救いの全き完成の時(神の栄光の時)は来ていない。パウロは言います。
8:18 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。
加えて、神が創造の始めに造られた被造物もあなた方人間と共に、その時を待っていると。
8:21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
この言葉が唐突にここに出てきましたが、なるほど、神から委託された被造物(自然界の生き物)に対する人間たちの罪があります。地球上の多くの生き物たちが人間の傲慢さの罪にそのあるべき生が脅かさ
れている現状があることを想うとき、神の栄光の時は全被造物の救いの時になります。2000年近く前にパウロがこのことに触れているのは、すでに被造物の叫びが始まっていたことを示しているのです。
  その時を忍耐して待つことが求められます。まだ見ていない希望を仰ぎ見て。待てるだろうか?
大丈夫。助け手がいる。
8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りま
せんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。 8:27 人の心
を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる
者たちのために執り成してくださるからです。(“霊”とは聖霊、神の霊を指していると考えられます。
ギリシャ語では霊と“霊”に明確な区分はありません。聖書教育5月号P9より)
私たちが信仰を貫こうとするとき、遭遇する苦難と呼べるものがある。呻かざるを得ない状況がある。その時にも神は助け手を送ってくださっている。“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるのです。アーメン、ハレルヤ、感謝。
私たちの言葉にならないうめきと嘆きは霊のうめきと嘆きとなり、混じり合って神の前に届いていく。
パウロは神の計画によって救われたものを、神は確実に神の前に義なるものとして、栄光に入れるようにしてくださると結びます。