メッセージ

 ~本日のメッセージ「応え合う者として」~澁谷和美牧師      
 創世記 2章18節~25節
    2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

2章4節後半より、新たな創造物語が記されております。ここにおいても神は人が一人で生きる者ではないとし、共に歩む助ける者を造ろうとされました。「助ける者」の意味には「同伴者」という意味もあり、共に向かい合う同伴者としての存在を指すとあります。
 人と向き合う「助ける者」はどの生き物たちの中にも見いだせませんでした。人は生き物たちに真剣に向き合い名付けをしましたが、彼らからの応答は得られませんでした。神は深い眠りに置いた人の肋骨の一本を取って女を造り、人の前に置かれました。深い眠りに入れ、あばら骨を抜き取るとは尋常な状態ではない。そのようにして神は向き合う相手を造られ、初めて人は男(イシュ)と女(イシャ―)になった。。
    2:23 人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)
 と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」2:24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
ここに「人が一人でいるのは良くない」という創造の意図が成就する。社会的である人間の共同体性は夫と妻の関係を核とする(月本昭男)。
古代イスラエルにおいて家父長制が優位を占め、父親の権威が強く、一夫多妻の家族関係性が見られる中で、一夫一婦制を示し、また夫と妻が自立した人間関係に生きる存在として捉えていることは特筆すべきことである。
また「あらゆる人間同士の豊かな関係性について語られているものとして大切に受け取りたいと思う」との聖書教育7月号p9の言葉も、心に留める必要がある。