メッセージ

  

 ~ 「神の悲しみ」~澁谷和美牧師
  イザヤ書 5:1―6 
  イザヤはぶどう畑の歌を歌い出した。イスラエルの民がよく知っていた恋愛歌のようだ。
「私は歌おう、わたしの愛する者のために そのぶどう畑の愛の歌を。(1節)」イザヤはヤハウェの神を「私の愛する者」と表現する。聞く聴衆は、ぶどう畑の持ち主がいかに心を尽くし、深い愛を示して畑を世話してきたかを心地よく聞き進んだ。彼らは恋愛歌が「良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。(2節)」で失恋に終わったことを知る。
そして3節の「さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ。わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。」の言葉で彼らはぶどう畑が自分たちであることに気づかされる。
「良いぶどうが実るのを待った」神、「しかし、実ったのは酸っぱいぶどう」、「なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか」と問いかける。
今日のところも前8世紀頃イザヤの初期活動における預言である。まだシリア・エフライム戦争は始まっていない。しかし国と民の堕落があった。神はこれまでも警告していた。彼らは神に応えることをしていない。それゆえに神は「私はこれを見棄てる(6節)」と警告された。神は「待った(2節)」、「待った(4節)」と言われる。神の深い悲しみをここに見ることができる。それでも尚神はイスラエルの民の神の元への立ち帰りを待ち続けてくださっている(27:4)。