メッセージ

  

~ 公正(ミシュパト)と正義(ツエダカ)」 ~澁谷和美牧師   
イザヤ書 5:7―10
 イザヤ書の学びがクリスマスまで続きます。毎週のみ言葉が、神の子イエスの誕生からその後の生きざまを想起させるものだからです。
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で
現れ、 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
(フィリピ2:6-8) 

神の子でありながら神の身分に固執することなく徹底して低きに下り、人間として、神に対し全き従順にして、神の公正と正義に生きられたイエスの姿がここにあります。イザヤは神の求める公正と正義の世界が地上に実現することを求めました。しかし、人間の傲慢、愚かさ、弱さが生み出したのは流血(ミズパハ)と叫喚(ツェアカ)でした。殺戮と叫び。
5:8 災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでにこの地
を独り占めにしている。
神のご覧になったところには貧しい民を食い物にし、貪る民の長老や支配者たちの姿。本来民の僕として、その働きを全うすべき存在が、その責任を果たすことなく、また国の存立も危うくする。神は民の叫び声を見過ごされる方ではありません。
神の公正と正義は私たち一人一人の神への立ち帰りを促し、神の平和(シャローム)の働きに参与する者へと導くものです。