メッセージ

  

~ 「和をむすぶ」~澁谷和美牧師
 イザヤ書 27:2―6
 イザヤ書24章から27章迄はイザヤの黙示録と呼ばれるもので 時代背景は分からない(前6世紀から前2世紀までいろいろな主張がある)が後代になってその時代の預言者がイザヤ書を再解釈して記し、ここに付加していると言われる。24章から神のイスラエルだけでなく全世界に対する審判がはじまり、その後にイスラエルの回復が語られる。27章1節では神の審判が全宇宙的であることを語る。5章1節から7節でユダ、イスラエルへの神の審判が神のぶどう畑の比喩で語られた。しかし、ここでは新しい神のぶどう畑が語られている。
27:2 その日には、見事なぶどう畑について喜び歌え。 27:3 主であるわたしはその番人。
常に水を注ぎ/害する者のないよう、夜も昼もそれを見守る。 27:4 わたしは、もはや憤って
いない。
「わたしはもはや憤ってはいない」と言われる神は、神をよりどころとして生きようと思うものは「私と和解するがよい。和解を私とするがよい」と言われた。罪あるままそのままで、神に向き直り和解せよと言われている。岩波訳では「和を結ぶ」口語訳は「和らぎをなせ」となっている。原文はシャローム(平和)が使われている。神と和を結ぶ、そのことが神の平和への道にあゆむことである。そこには神の招きに応ずることのできない人間の罪が横たわる。
時至って神との全き和解を実現できなかった人間たちのために神は一人子をこの地に送られ、十字架の死をもって成し遂げてくださった。どこまでも神の一方的な恵みと憐れみ、赦しによる。