メッセージ

 ~「神の選んだ僕」~澁谷和美牧師    
イザヤ書 42:1―9
 イザヤ書40章から55章迄は第二イザヤ書と呼ばれています。紀元前587年、イスラエルはバビロニアに国を滅ぼされ、主だった人々は捕虜として囚われ、バビロンへ連れて行かれました。それから50年の年月が経ち、紀元前539年、ペルシャのキュロス王によるバビロン征服により、イスラエルの人々にエルサレム帰還の道が開かれました。第二イザヤは捕囚末期から捕囚解放前の預言者として活躍した、第一イザヤの弟子集団の一人と言われ、バビロンで生まれた捕囚第二世代にあたります。紀元前539年を前後して捕囚解放前と後に分けられますが40章から49章迄が解放前、50章から55章が解放後、帰還に至る預言集とみられます。
 42章から以降 主の僕の歌が4ツ出てきますが、42章1節から4節までは主の僕の歌第一にあたります。主の僕は第二イザヤ自身ではないかとの節もあります。11月は主の僕が残した4つの歌を取り上げます。
 主の僕として神ご自身が選び分けられた。異国の捕囚地であっても民と共におられる神は選び分けたものに、神の霊を注がれ、立てられた。その霊の注ぎの確かさによって召命を受けた者は神の導きのもと、国々の裁き(ミシュパト公正の意味)を行っていく。選びをいただいた者の上には常に神の支えがあり、神ご自身が喜びをもって迎え入れてくださっている。その働きは、決して人間の力に頼るのではなく、また高みから裁くのではなく、神により頼み低きに立つ裁き手であることを全世界に知らしめると。
 捕囚の民には、祖国を失い、心折れ、暗く先の見えない状況に、希望の灯を見たのではないか。