メッセージ

~ 「その日を待ち望みつつ」~澁谷和美牧師
 イザヤ書 25:1-9(p1097―1098)
  アドベント(待降節)第三週目となりました。
24章から27章迄はイザヤの黙示録と呼ばれるものです。イザヤがいたときは王朝は南北に分裂していましたがエルサレム神殿はありました。イザヤは国の滅びを警告し、それが現実となりました。民が希望を見ることができなったとき、未来に救いを語る、それが黙示です。24章の世界審判における破壊と、25章では神を中心とした新たな再創造と祝宴が予言されています。
25:9 その日には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び躍ろう。
「あなたは私の神」との告白から始まり、その告白は「この方こそ私たちの神」との告白になり、神の救いの確信となっていった。「私たちが待ち望んでいた主」に出会った人々が共々に喜び踊る。私たちの待ち望む主は正義と公正を行い、愛と平和と恵みの主である。その主が来られる時、人々の貧しさも悲しみも苦しみも暴力からも解き放たれる。イザヤのイスラエルへの救いの黙示はすべての民、全ての国への解放の預言である。
25:7 主はこの山で/すべての民の顔を包んでいた布と/すべての国を覆っていた布を滅ぼし 25:8 死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい/御自分の民の恥を/地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。
イスラエルだけでなくすべての国への救い、それはイエス・キリストの十字架の死によって現実となった。