メッセージ

  本日のメッセージ「イエスさまのまなざしのもとで」~澁谷和美牧師
ヨハネ9章1節~17節、35~39節
ヨハネ9:39 イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見え
ない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
今日の盲人の癒しは41節までが一つの癒し物語です。
通りすがりに出会った生まれつき目の見えない人に対し、弟子たちがイエスに質問しました。
「この人が生まれつき目が見えないのは誰が罪を犯したからですか。本人ですか、それとも両親ですか。」 この時代もまだ因果応報思想があったので弟子たちが訪ねたのでしょう。
イエスは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れる
ためである」とお答えになりました。
 この時イエスは唾で土をこねて泥を作り、盲人の目に塗りました。そして、シロアム(『遣わされた者』という意味)に行って洗うように言われました。彼は言われたとおりに行い、その結果「彼は見えるようになった」とあります。
ちょうど安息日でしたから、イエスの癒しは律法学者たちにとって大問題になってしまいます。また彼も問われました。喜ぶ暇なく彼は律法学者たちの審問に付き合わされ、両親までが引き出されました。かたくなにイエスを追求し、理解しようとしない学者たちと対照的に、癒された人は、イエスに対する理解が開かれていき、最終的にイエスを受け入れるのです。恵みの出来事が起こされていました。
遣わされたものイエスによって見えなかった目が見えるようになり、心の目も開かれ、見えるようになったのです。
一方でかたくなさのまま、立ち止まる人たち。
9:41 イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』
とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」